佐藤秀明インタビュー 「ユーコン、旅人の川を語る」 聞き手 新井敏記

佐藤秀明さんの写真集『Yukon』が9月15日に刊行になります。
佐藤さんは世界の辺境を旅して自然とそこで暮らす人々の営みを撮り続けてきました。

今回旅したユーコン川は、カナダからアラスカを経てベーリグ海へ注ぐ全長3200kmの大河。悠久の自然を流れる雄大な川です。佐藤さんはカナダのホワイトホースからドーソンまで約650kmを、筏とカヌーで旅をしました。

ユーコンは先住民の言葉で「大河」を意味します。
佐藤さんの冒険は一万年前に大地が氷河で覆われたころの物語を、僕たちに見せてくれています。

佐藤さんへのインタビューを、今回WEB限定で全三回に分けて掲載致します。

インタビュー=新井敏記



第三回

ユーコンの始まりと終わり

──写真集『Yukon』の話に戻ります。この一冊を見ると、旅の始まりと終わりでは、川の風景が変わり、心の在り様も違うからか、写真の密度が変わっていく。うすくなっていく感じです。一本の川が古代から現代を旅するように現れていく。上流が古代で、下流が現代です。佐藤さんがシャッターを切ることも少なくなっているように感じます。街に入ると自然が痛めつけられて悲しく思う佐藤さんがいましたか?

佐藤 むしろユーコンの自然が荒らされていたのは、過去なんです。ゴールドラッシュの19世紀の初頭。人が一攫千金を夢見て自然の中に入ってどんどん荒らしていった。山は蒸気船の燃料として伐採されて、ほとんど禿げ山になっていたそうです。今は人が消えて、自然が復活しようとしている。蘇って、それ以前の姿が再現されているように思いました。

──自然の復元力ってすごいです。

佐藤 障害物が何もなく、空を360度見渡せる場所はそうそうあるものじゃない。ユーコン川の上には満面の空が広がっています。テントに入って珈琲を呑みながら顔を覗かせると、空にオーロラが広がっている。その下で遠くに焚火をしている仲間を眺めるのは、幸福な時間です。

──立ち止まる、ここが宇宙のど真ん中、誰かの川柳です。そんな感じがします。

佐藤 キャンプすると、ここが中心だと思います。珈琲に美味さを初めて味わいました。


好きな場所

──3000キロの流れで佐藤さんが一番好きなところはどこですか?

佐藤 ホワイトホースからドーソンまでです。あそこは本当に旅人ためにあるような川です。

──アメリカ流域とカナダ流域の違いはなんですか?

佐藤 カナダ北部はトウヒなど松の針葉樹林で覆われ、「ボレアルフォレスト」と呼ばれているんです。熱帯雨林同様、多くの野生動物の棲息地となり、トウヒは「永久凍土」という根を地中に伸ばせない過酷な土壌でも、枝を地面に延ばし子孫を増やしている。アラスカは湿地帯が多く蚊がはんぱなく多い。

──旅の終わりを徐々に意識しはじめる?

佐藤 ユーコンはアラスカのランゲル山地を源流とするホワイトリバーと合流する。川幅は広いが、泥砂で真っ白に濁っている。ジャックロンドンが越冬したスチュアート島とドーソンの間には、いまだに夢を捨てきれずに金を探しながら暮らしている人達のキャビンが川辺の森のそこここに見えてくる。旅のゴールも近いことを察知するようになる。川面を吹いて行く風は冬の前触れのように冷たく感じられるのです。

──佐藤さんは多くの共感を炭坑夫に寄せていますね。

佐藤 峡谷を命がけで越える男たちの金への欲はすごいです。挫折して違う生き方を見い出す男もいる。そこで定住していく。例えばインディアンの女と出会って所帯を持つ。旅の通過地点で旅人のための宿を営むような男もいる。そういう面影がドーソンの街には残っているのです。

──死に対する畏れですか? 移動をすることをやめて定住を選ばせる。

佐藤 北というのは人を試すようなところがある。北の大地で自分を見つけていく。ドーソンという街は金で潤ったけれど、いったん金が出なくなると急激に寂れていく。でもそこに留まる男たちがいる。何かを決断している。寒い冬を越すことをあえて選ぶ。ドーソンに住む一人ひとりに理由がある。こんどゆっくりと訊いてみたいと思う。

──「なぜここに住んでいるのですか?」というのは、星野道夫さんが北で暮らす人に必ず訊ねた質問でした。

佐藤 僕は、「なぜここに来たのか?」という質問をしたいね。ユーコンがアラスカの北極圏に入ると、小さな村には必ず一軒のゼネラルストアがあるんです。あるストアはロシアからの移住者が営んでいました。話を聞くと、ロシアから亡命してきたんだと言う。アメリカの国内を転々として、結婚も3回失敗していた。失敗する度に北へ向かうというんです。逃避行です。よく聞くと、男はシベリアに抑留されていたと知った。どんどんそっちに近づいていく。「ここであと数年稼いで、シベリアに帰る」と男は言っていました。

──物語がありますね。

佐藤 ある村には「ラストチャンス」というバーがありました。これ以上北へ行くと飲み屋がないという意味で店主が名付けたそうです。

―――店主には物語がありそうですね。

佐藤 みな物語を背負っている。物語がないと彼らは生きていけないような気がする。

──逃避行をするとしたら佐藤さんは北か南かどちらに?

佐藤 わからない。本当に挫折したらどうするだろう。北かな。でも北極圏じゃない。人生やり直すのは新潟でしょう。棚田の広がる美しい農村に住みたいです。

──旅の終わりは寂しいですか?

佐藤 そうですね。やっと帰れるという想いと終わるという感傷があります。

──再訪したい場所は?

佐藤 カシミールとニューヨークです。ニューヨークは住んでいたから。あの頃は一番写真が上手く撮れたような気がします。

──最初の外国は?

佐藤 アメリカです。何がなんでも写真をものにしたいと思った。ロスへ飛んでグレイハウンドバスでニューヨークに向かった。

──最初の一人旅は?

佐藤 中学生の時です。西宮に転校していじめにあった。初日、先生の関西弁にびっくりしていたら「関西をなめたらいかん」と往復ビンタをくらった。それから登校拒否になって、学校に行かず裏山でずっと過ごしていました。最初の山ですね。その後、親父が持っていたカメラを内緒でぶらさげて須磨まで電車に乗って、海岸で写真を撮った。

──なぜ写真を撮っていたのでしょう?

佐藤 わからない。ただカメラがあったから……。絵を描くことは昔から好きだった。何かしないと辛いんです。さぼっているから。

──紙焼きで残っていますか?

佐藤 残っていない。海岸をミャンミャンと撮っていたかもしれないね。

──ミャンミャンと撮る。佐藤さんのスタイルですね。

佐藤 いい音ですね。

──若い人に贈ることばをください。

佐藤 旅をしてほしいです。カヌーに乗って、点と点ではなく、繋げるような旅をしてほしい。ユーコンを好きな人はカヌーに乗って好きになる。不思議な浮遊感がいい。

佐藤秀明
1943年新潟県生まれ。日本写真家協会会員。日本大学芸術学部写真学科卒業後、フリーのカメラマンになる。世界中の辺境を旅し、自然と人間、文化を独特の視野で撮り続け、多くの作品を発表している。写真集に『カイマナヒラ』『『新 日本の路地裏』『鎮魂・世界貿易センタービル』など多数。

第一回
第二回
第三回

佐藤秀明写真集『Yukon』


Posted on 2014/09/16
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