音楽が終わったら

 今回の特集「クラウド世代のためのミュージック・スタンダード」では、登場するミュージシャンたちそれぞれにとっての、いわば<音楽の原体験>としてのポピュラーミュージックとの出会いについて話を聞いていった。そこで感じたのは、誰もが皆、自分が意識して音楽を聴き始めそれに夢中になっていく過程について、そして自分にとっての特別な存在となったアーティストについて、心から楽しそうに語っていたということだった。中には、自身の作品について語るよりもはるかに饒舌に、活き活きと話しているのではないかと思える程のミュージシャンも少なくない。そんな彩りに溢れた、音楽との出会いの話を聞くのは、幸せな時間だった。

 音楽を聴くという行為は、インターネットとそれにまつわる様々なサービスの普及、進歩により、ますます手軽に、カジュアルなものとなってきている。何か気になる曲や聴きたい曲があれば、大抵のものはネットで検索すれば即座に、簡単に、しかも時には無料でそれを聴くことができる。ひと昔前と比べれば、音楽好きにとってそれは夢のような時代と呼べるだろう。

 けれどその一方であるミュージシャンもインタビューで指摘するように、音楽が消費されるスピードが年々加速していく傾向にあるのも確かだ。日々膨大な数の音楽が生まれ、そしてその多くはあっという間に消費され、過去のものとなる。誰もが手軽に新しい音楽にアクセスし、その手軽さゆえにその行為は日常化し、かつては特別な<体験>だったそれは、ごくありふれた日々の暮らしの中に埋もれていく――。だからこそ音楽の作り手たちは皆、それでもリスナーにとってその音楽との出会いが特別な体験となり得るよう、自らの作品を精魂込めて作り上げていく。

 初めて自分自身で手に入れたレコードやCDを、胸を高ぶらせながらもどかしい気持ちでパッケージを開き、プレーヤーにセットする。最初の一音が鳴り始めるその瞬間の高揚感。たとえ音楽がパッケージメディアでなくなったとしても、その感覚はやはり変わらないだろう。ターンテーブルの上のレコードに針を下ろすこと、CDプレーヤーの再生ボタンを押すこと、PCのマウスをクリックすること、スマートフォンのディスプレイにタッチすること。違いはその動作だけだ。そしてその音楽が終わった時、心に何かが残される。きっと特別な何かが。

「SWITCH」Vol.32 No.4(福山雅治 今を生きる、今を歌う)


Posted on 2014/03/20
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