立ち読み

ジーナ・ローランズ 「女優」という運命を生きて

ジーナ・ローランズは女優として、カサヴェテスに常に発見と刺激を与え続けたかけがえのない創作の源であり、映画作品に絶対的な存在だった。ジーナ自身、カサヴェテスとの出会いは「運命」だと言う。人生すべてを映画に捧げた二人の日々は、カサヴェテスの急逝によって終止符が打たれてしまう。その喪失の大きさははかり知れないものがある。 そして今、ジーナ・ローランズは一人、映画という道を歩み続けている。「女優」という「運命」を。
text by Matsuda Hiroko/photographs by Murakoshi Gen

▼カサヴェテスが暮らした家へ

 初めてジーナ・ローランズに会ったのは、一九八九年の夏。カサヴェテスが亡くなって、わずか半年後のことだった。
 まだ深い悲しみの中にいる彼女は、感情を押し殺しているかのような凜とした美しさが際立って、その姿はどこかカサヴェテス作品に登場する女性たちと重なっていった。
 思えばカサヴェテスがジーナを通して描いた女性たちは、みな孤独に打ちのめされ人生に行き詰まっている。それでも彼女たちは他人を責めたり、くよくよ嘆いたりはしない。直面する現実に抗うかのようにもがき、時には精神のバランスを崩すこともあるが、それでも彼女たちは野獣のように頭をもたげて立ち上がり、「希望」へと手を差し伸ばす。その姿に観る者は自分たちを重ね共感し、励まされる。清麗で美しいと感じる。
 カサヴェテス作品は、映画でしかできないことに満ちている。同時に、映画の世界にとどまることなく現実を写す鏡として私たちを後押ししている。  二十五年前、『スイッチ』のカサヴェテス特集号の編集後記にこう書いた。
「不思議なことに何も知らないでいた時よりも、わからないことが増えた。それは悪いことではないと思う。カサヴェテスについて語っていくのはこれからなのだから」
 その想いは四半世紀経って、カサヴェテスを知らない若い世代が増え、映画制作を取り巻く状況が厳しさを増す今、むしろ深まっている。もう一度ジーナの声を聞きたい。彼女が再婚したという知らせにはいささか驚いたが、いまもカサヴェテスと暮らしたあの家に住んでいる。
 午後三時。
 ハリウッド北西部、高台にあるカサヴェテス邸へと車でゆっくり上っていくと、見覚えのある入り口のスロープが見えてきた。白い外壁は最近塗り直されたばかりなのか番地の数字が目に鮮やかだ。映画『ラヴ・ストリームス』でサラが何度も出入りするロータリーも、秋晴れの光の中にある建物もあの頃とすこしも変わっていない。ところどころ改修された跡に、この家をいとおしむジーナの意思が伺えるようだ。
 玄関を入ると、右側がリビング。リビングに繋がる廊下には写真が所狭しと飾られている。息子ニック、娘ゾエとザン。ジーナの最近のスチール。いまのパートナーとの2ショットや彼の家族との写真、カサヴェテスの肖像写真が混在し、かけがえのない時間を物語っている。
不思議と安堵と切なさと懐かしさが交錯する。そのとき、聞き覚えのある声がしてみやった。
 鮮やかな赤いジャケット。一九三〇年生まれ八十三歳の彼女がいた。足下を確かめるようにゆっくり歩く姿に、さすがに年齢を感じさせるものの、華やいだ笑顔は、まさしくジーナ・ローランズだった。

続きは本書にてお楽しみください。


Posted on 2013/12/20