【特別対談:写真家・池田晶紀×SWITCH編集長・新井敏記】第2回 写真家と父

8月29日から9月10日にかけて南青山のスパイラルガーデンにて写真家・池田晶紀さんによる初の大規模個展「SUN」が開催されました。近代的な美術館を思わせる広々とした会場を大胆に使い、1枚1枚大きく、そして丁寧に展示された写真の数々。その対象は自然の風景や人工的な水草水槽、動物とさまざまなものの、テーマである「自然」という言葉によって不思議な統一感を持ち、子どもから大人、一般人から芸能人まで会場を訪れた多くの人の心を魅了しました。ここではその会期中行われた池田さんとSWITCH/Coyote編集長・新井敏記によるトークイベントの模様をお伝えします。

第2回 写真家と父

新井 池田くんは元は画家を目指していたとおっしゃっていましたが、どうして写真家の道へ?

池田 やっぱり、写真が向いているなと思って。

新井 向いてる。

池田 “出来ちゃうな”と思ったんです。僕の実家は写真館なのですが、友人たちと旅行に行くと写真を頼まれるんですよ。写真館の息子だから写真撮ってって。で、撮ると「うまいね」とか言われる。自分としては身近すぎる行為だから「そりゃそうだ、写真館の息子だもん」って思っちゃうんですよね。なので、昔は逆に写真を撮ることはあまり好きではなかったですね。普通過ぎて。でも、出来てしまうことを自分でも意識するようになってくると、仕事が来るようになったんです。それで、これは表現として、絵画よりもこっちに行った方が面白いなと思ったのがきっかけですかね。

新井 じゃあ、池田くんの撮影スタイルというのは写真館のお父さんのスタイルに影響を受けているんですか。

池田 だいぶお父さんの影響を受けていますね。

新井 池田くんはポートレート撮る時よく声をかけますよね。声をかけるってとても重要だと思うんですよ。そういうスタイルもお父さんの影響ですか。

池田 僕のお父さんは写真を撮るときの技術的な部分がすごく面白いんですよ。写真館なので子どもたちを撮影することがよくあるのですが、子どもたちに“魔法”をかけるようなことをするんです。例えば、カメラの上にアンパンマンの人形を乗せるんですね。それでアンパンマンにヒゲを描いて、「このハゲたおじさん見て」って子どもに言うんですよ。そうすると子どもたちは「アンパンマンだよ!」ってツッコミを入れる。これは毎回鉄板芸。さらに、お父さんが「にーこにーこ、にっこにこっ」って言うと、魔法がかかったように子どもたちが絶対笑うんですよ。実際はお父さんダミ声なので「ニーゴニ―ゴ、ニッゴニゴッ」なので何を言っているのか良く聞こえないのに。

新井 逆に聴きたくなるっていうか、耳をすませたくなる。

池田 そう、だから「何言ってんの!?」ってなる。それをやっているときは自分も揺れているんで、ときには人形を落っことしちゃう。それを拾うのも子どもたちにとっては面白い。それでお父さんが人形を拾っているときに、お母さんがレリーズでパシャっとシャッターを押しているんです。もう芸人ですよね、夫婦芸。

新井 夫婦愛でもありますよね。写真館の方ってそういう芸をお持ちの方が多い気がします。

池田 子どもの頃はふざけているって思っていたんですよ。むしろ、当時の僕は撮られることが好きだったので、お父さんがいっぱい写真を撮ってくれると、もっと面白い写真を残していきたいっていうディレクションを自分にかけるようになるんですよ。沢山大きな穴を掘って、中に入ってみるとか。そんな風に面白い写真をたくさんディレクションして、そういう自分をお父さんに撮ってもらうというのが大好きだったんですよね。

新井 なるほど。

池田 それで、大人になって自分が撮る側にまわったときに、おとうさんの笑顔を誘う魔法の言葉やお母さんのレリーズのタイミングっていうのは、実は技術だったんだってことが分かったんです。

新井 お宮参りや七五三、成人式などもお父さんに撮ってもらいましたか。

池田 僕はそういったセレモニーでは一回も撮ってもらったことがないんですよ。

新井 本当ですか!

池田 はい。セレモニーはお父さん、撮らないですねえ。

新井 へえ。

池田 お父さんはいつでも撮れると思うと撮らないんですよ。なので家族写真はすごく少ない。基本的に店には「写ルンです」ようなレンズ付きフィルムが売るほど置いてあるので、いつでも写真を撮れるようにはなっているんです。だから、だれかの誕生日の時はそういうものを使って、だれかしらが撮っていましたね。

新井 素晴らしいね。

池田 実家も少し変わっていて、写真館と化粧品屋が併設されているんです。お母さんがメイクをして、お父さんが写真を撮る。合理的といえば合理的。

新井 お父さんを最初に撮ったのはいつですか。

池田 それは三歳くらいから撮ってますね。やっぱりカメラを渡されるので。初めてシャッターを押したときの写真も残っています。それは大事にしてくれていて。そのとき僕がカメラを構えている写真もありますよ。

新井 写真家の荒木経惟さんは、写真好きなお父さんと2人で暗室にこもって、小さい頃から色々と教わっていたそうです。職業は下駄屋なんですが、趣味がカメラの収集や撮ることだったそうで、少年時代の荒木さんはそんなお父さんとともにずっと写真を撮っていたんです。なにか騒動があるとカメラを持って現場に飛んでいくお父さんの後ろを、少年時代の荒木さんは一所懸命にくっついて行っていた。だから、写真家にとって父親との関係というのは重要なのかもしれませんね。

池田 なるほど。

新井 ちなみに僕の実家は映画館だったんですよ。だから映画館に関する記憶はすごく残っています。当時はちょうと東京オリンピックが開催される時期で、各家庭にテレビが普及し始めて、映画が斜陽産業の時期に入るんですね。それまでは映画は数少ない娯楽の一つだったので、隆盛を極めていたんですよ。それが一つ減り、また一つ減り、といった具合に数を減らしていった。

池田 『ニュー・シネマ・パラダイス』のような環境だったんですね。

新井 まさしく。だから、以前親父に『SWITCH』ってどんな雑誌だって訊かれたときに、親父を喜ばせたくて「映画の雑誌だ」って言ったんですよ。そうしたら、とても喜んでました。

池田 さすが俺の息子だと(笑)。

第3回 SAUNA!!

第1回 「自然」に焦がれて


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