SWITCH INTERVIEW ――大竹聡「たんたんと今日もどこかの街で」〜前編〜 2page

写真・浅田政志

「年齢は関係なく遊んでた?」

「そうです。公団住宅は、日本全国から入植してきてた感じで、いずれ家を建てて出ていこうという人ばかりだったので、九州も、東北も、各地の出身者がいて、いま思い返すと、遊びの名前の呼び方とかも違ってた。とにかく、なんの縛りもなく、ただただ遊んでた。でもよく怪我してましたね」

「どんな怪我を?」

「公園で先輩にブチかましされて、頭を打って、気絶したことがあります」

「うわ、それは何歳ぐらいのとき?」

「幼稚園ですね。今から考えたら大問題ですよ。それで、兄貴たちに担ぎ込まれて、水ぶっかけられて、近所のお医者さんに見てもらったんだけど、『じきに元気になるだろう』って言われたな。そうだ、目が覚めたときゲロ吐いたらしんだけど、結構危ないですよね」

「危ないですよ」

「とにかく頭が血まみれというのは、子供の頃は、2回くらいあるんじゃないかな」

「遊びまわりすぎというか」

「そうなんだ。どこにでも行っちゃうし、無謀なことやって、それで、ぶつかれば血が出ますよね」

「まあ、そうですけど」

「でも昔の医者って、『我慢できるか?』って訊いてきて、『はい』って答えると、麻酔もせずに、ブスブス縫ってくるんです。それで『お前我慢強いな』と言われて、『うっす』とか言って、格好つけちゃってね」

「野蛮ですね」

「三鷹とかって、そういう土地だった。言葉も、ちょっとした多摩弁があって、江戸っ子とは全く違いますよ」

わたしの祖父も深大寺の近くの農家出身で、言葉が変でした。「コーヒー」は「コーシー」、「やっちまいな」というのは「やっぢまいな」、「いっぢまいな」といった感じで言葉に濁音が入って濁るのです。ちょっと汚い感じの訛りです。

「じゃあ大竹さんは、そのような野蛮な土地で遊びまわって、すくすくお育ちになった」

「まあ、基本そのままだったんですけど。僕が12歳で兄貴が15歳のときに、親父が出奔いたしまして、仕事で失敗したというのが直接の原因にはなっているんですけど」

「あれま」

「親父はそれまで、野球チームの監督とか、人を集めて麻雀やったり、祭りをやったり、酒盛りしたり、賑やかな人だったんで、地域では有名だったんですよ。それが急にいなくなったもんだから、みんな噂するわけですよ。『女ができた』とか『奥さんに男ができた』とか、『あそこは、兄ちゃんは真面目だけど、弟の聡(さとし)は悪ガキだから、コレから見ててごらん、おもいっきりグレるから』なんて言われてたんです」

「団地の村社会」

「そうです。それは、僕が中学に入ったときぐらいだったんですけど、みんながチラチラこっちを見て噂するんです、それが面倒臭くて」

「そうですよね」

「そこでね、そうなると男ですから、いかに体育祭で活躍できるかとか、勉強できるかというところで勝負になりますよね」

「はい」

「あとは部活をしっかりやって、そうするといじめの対象にはならない。でも僕は、もともとガキ大将だったので、悪くなるぞって言われていた他の子供たちとは付き合わないようにしたりして」

父が出奔したことにより、みんなの噂するような人間にはならないように、心がけていた大竹さん。子供ながらに大変だったのかもしれません。そこで、普段は、どのように生活していたのでしょうか?

「家では勉強もしてなかった。恥ずかしいけど、エロ本を見るか、ギターを弾くかでしたね。まあ、それで6時間は持ちました」

「エロ本、ギターで6時間。部活は?」

「野球をやってました」

「どこを守ってたんですか」

「セカンドでした」

「野球は真面目にやっていたんですか」

「やってましたね。僕は結構上手かったんですよ」

「じゃあ、野球、エロ本、ギターですね」

「そう、グローブとエロ本とギターがあれば、小学生のときのような友達がいなくたって知ったこっちゃないって感じでした」

「酒は」

「訊かれるだろうなと思ったけど、酒は、まだ飲んでない」

「酒はまだですね」

「はい。ごくごく普通の中学生でした」

「遊び場は近所」

「そうですね。都心に行っても落ち着かない。当時好きだった女の子と、渋谷に映画を観に行ったんですけど、落ち着かないしお腹は痛くなる。だから映画を観終わったら、真っ直ぐ吉祥寺に戻って、お茶を飲んだな」

大竹さん、やはり武蔵野育ちなのか、都心に出て人が多いと目がまわってしまうそうです。


後編へ続く


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