SWITCH INTERVIEW ―― 串田和美「『牟礼』の奇妙な人たちへ」 ~後編~ 2page

写真・浅田政志


「芝居への思いが芽生えたのは?」

「中学の新入生歓迎で、お芝居をやってたんです。『瓜子姫とあまんじゃく』っていうもので、観ていたら、ヤジ飛ばす奴とかいて、『つまらねえぞ、やめちゃえ』ととにかくひどくて、しまいには、そいつが舞台に上がって、先生が出てきて、揉めてるの。でも、ちょっと待てよと思ったら、その先生も子供だった。それも全部お芝居だったことに気づいて、すげえなと。芝居はこんなことができるんだと思ったんです。世界をひっくり返すことができるんだと。それで一緒に観ていた友達と演劇部の部室に行ったんです」

「いよいよですね」

「でも、誰もいなかったんだ。そしたら机にドーランがあってね、これで顔を塗るんだと、蓋を開けたりしてたら、国語の先生がやってきて、『そのニオイ嗅いだらやめられないよ』って言ってニヤッと笑ったんです。『えー、嗅いじゃった、どうしよう』って。そこから演劇をはじめたんです。それでね、僕が観ていた芝居は、瓜子姫が長山藍子さん、ヤジを飛ばしたのが山本圭だったんです」

「はじまりは、ニオイ。子供の頃の芝居小屋の、オニギリの海苔やムシロの匂いもありましたね」

「それはニオイいというしかないものがあるんだ。全体を捉えるニオイ、未来を感じたり、過去を感じたりするニオイ」

「ドーランは、具体的にはどんなニオイだったんですか」

「桃山というメーカーので、椿油が混じっていたんだ。あまり良いニオイではなかったけど」

「そして、『そのニオイ嗅いだらやめられないよ』と」

「その先生は松田先生といって、文化祭になると、先生なのに白塗りして、パントマイムとかやっている。民芸の研究生とかまでいったらしくて、だから余計に、やめられないよっていうのがあったんだね」

「それからは山と演劇」

「いろいろ掛け持ちしてました、山に登る体力をつけるために、サッカー部に入ったり」

「山はどんなところが良かったんですか?」

「山って、一人で行くと、誰にも見せない自分がいるんです。それで、一人のときって、実はキチンとするというか」

「キチンと丁寧に?」

「そう。山の上って昼飯食うのにも、あの岩の上にしようとか考える自分がいて、外から、自分を考えるんです」

「なるほど」

「それでね、これは何だろうなと思って、なんというか、自分のために見せるお洒落というか、気取って笛なんか吹いたりしてね。客がいないお洒落」

「一方で、芝居は人に見せるお洒落」

「そう。極端な自分がいる。だから芝居を作っていても、全部わからなくてもいいや、という気持ちがある。わかりにくいというわけではなくてね」

「一人オシャレの瞬間が。高校を卒業してからは?」

「僕は、成績も悪くてね、推薦で大学に行けなかったの」

「串田さんは成蹊ですよね」

「はい」

「成蹊は下から上に勝手に上がって行くイメージがありますけど」

「だから、相当勉強やってなかったんだね」

「演劇と山」

「それに僕は、何度も下の学年に落ちそうになってたんだ。でも年子の弟がいたから、落ちたら一緒になってしまう。それだけは嫌だった。書道部の奴なんか、『ずっと字を書いてたら落ちたんで、四年います!』とか言ってたけど」

「串田さんは、絶対落ちられない」

「そう。でね、秋の終わりに『大学には行けないよ』と言われて、そこから必死に勉強するんです。しかも、冬にやろうとしていた芝居が、流感がはやっちゃってできなくなったんです。『終電車脱線す』という椎名麟三の作品で、電車が脱線して帰れなくなった人たちのエゴが出たりする話で、紙に電車を描いて、バリバリ破いてそこから転げ落ちるとかアイデアも出してたんだ」

「でも、それが中止になって、勉強を」

「そう、そこで受験勉強をするんですけど、二月の早稲田は落ちて、一カ月後、日芸を受けて入ったんだけど、その頃の日芸は何もなくて、一年でやめて、俳優座に入ったんです。そこでいろんな人と知り合って、いろいろ作りたいと思い始めた。そこで自分たちで劇団を作ろうと、六本木の建設中だった地下鉄の駅で話したんだ」

「それで自由劇場が?」

「でもね、まだ自分たちは力が足りない、次の人たちが卒業したら始めようと。そこで、僕は、その間に文学座に入った」

「そうなんですか」

「やめないですよね、って言われたんだけど」

「そうか、分裂騒動とかあったから」

「そうなんだ、でも一年でくらいでやめてしまって。文学座のみんなには可愛がってもらったし、良い思い出なんだけど」

「やっぱり、自分たちではじめると」

「そう。そこで自由劇場を作るんだ」

串田さんは、「ニオイというのは理屈がない。理屈があるのは、説得しなくちゃならない理由があるからなんだ。そして理屈が揃うと争い、戦争になったりする。だったら理屈がない方が正しいように思える。とにかく、自分を一番動かすものは、理由がないんだ」と最後に話してくれました。

わたしはこの言葉を聞いて、十五年前に観た、串田さんの「ゴドーを待ちながら」を思い出しました。

そして、串田さんの話してくれた牟礼の人たちのこと思うのでした。あの人たちも、理屈も理由もなく、そこに存在していたのでしょう。是非とも今度、もっと牟礼の人たちの話を聞かせてください。



串田和美 1942年八月六日生まれ、演出家 俳優。父は哲学者串田孫一、祖父は三菱銀行初代会長の串田万蔵。劇団文学座を経て1966年吉田日出子らとともに自由劇場結成。以降コクーン歌舞伎、平成中村座で中村勘三郎と数々の名舞台を演出、2003年まつもと市民芸術館館長・芸術監督に就任、現在に至る

戌井昭人 1971年東京生まれ 作家、パフォーマンス集団「鉄割アルバトロスケット」の旗揚げに参加、脚本を担当。『鮒のためいき』で小説家デビュー、2013年『すっぽん心中』で第四十回川端康成文学賞、16年『のろい男 俳優・亀岡拓次』で第三十八回野間文芸新人賞を受賞。最新刊は『ゼンマイ』


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