SWITCH INTERVIEW ―― 串田和美「『牟礼』の奇妙な人たちへ」 ~前編~ 2page

写真・浅田政志


「その家に住んでいたときの思い出は?」

「母方のおじいさんが訪ねて来てくれて、そのとき、武井武雄の絵本を持って来てくれた。あと空襲はあまりなかったけど、防空壕があって、そこに逃げたとき、床屋の5歳ぐらいの子供が防空壕の上に立って、素っ裸で、『日本帝国バンジャーイ』って叫んでた。みんなは『危ない危ない』って中に戻してたけど」

「のんびりしているようだけど、なんだか狂気が」

「そうなんですよ。撃ってくるかもしれないんだから。まあそれでも、のんびりしていたのかな。でも親は慣れない農作業を手伝ったり大変だったみたいです」

「それから、東京に戻ってくるんですか?」

「そう。それでね、戻る前に、ベッカの母ちゃんてのが、村芝居に連れてってくれたんだ。それが最初に観た芝居です」

「村歌舞伎みたいな」

「そう。たぶん地元の人がやってたんだね。小屋がなくて、ムシロで囲った小屋だった。そこに裸電球がぶら下がってた。それまでは灯火規制で暗かったのに、あんなに裸電球がぶら下がってるのかと思った」

「戦争が終わって、いきなり明るくなった」

「それが眩しくて、綺麗だと思ったんです。あとは、おにぎりを食べてたんだけど、僕の中では大きなおにぎりだと思ってたけど、今考えると手が小さかったんだね。そのおにぎりの海苔が、今のものより磯の匂いが強くて、匂いを覚えてます。あとは、ムシロに座ってたら、だんだん暖かくなってきて、藁の匂いがしてきたのとか、お百姓さんたちが、大きな声で笑って、口の中が見えるような、そんな光景でした」

「匂いも、味も、光も、笑いも」

「それが一気に入ってきたんですね。親の知らないことを自分がしている最初の記憶です。どうして演劇を始めたのかと訊かれると。その光景があるからなんじゃないかと、無自覚だけど、芝居に最初に近づいた記憶」

「頭に焼き付いている感じですね」

「はい。それが新庄の最後の記憶かもしれない」

疎開先から串田さんは、東京に戻ります。

「東京に戻ってからは、どこに住んだんですか?」

「武蔵野の、牟礼ってところです」

「自分は調布なので、牟礼は近くです」

「そうなんだ」

「いまも、畑とか残ってますね」

「そうですね。そこに4歳のときに移りました。井の頭の牟礼の生活は、ものすごく強烈で、芝居を作るときの原風景が詰まっています」

「たとえば?」

「木樵みたいな人がいて、金造爺さんという人で、腰が曲がってるんだけど、庭の木を切ってくれと頼んだら、スイスイ木に登っていったり。三鷹第五小学校ってのが建てかけの最中に台風が来て倒れちゃったり、軍人の洋館があったり。よく立川の方から進駐軍がジープでバーっときてはビールの空き缶を投げたりして、僕らはそれを拾ってた。めずらしいから取り合いしたけど、同時に何となく屈辱感も感じたり」

「今でいうと、その洋館はどこらへんなんだろう?」

「井の頭の動物園の裏あたりから、人見街道に向かう途中だった」

「今は住宅地ですね」

「でね、とにかく、その辺りには笑っちゃうような、いろんな人がいました。もうどこから話したらいいのか、とにかく変な人ばかりで」

それでは串田さんに、当時の変な人を紹介していただきます。


『新川のまーちゃん』

「新川って場所の、新川のマーちゃんは、缶を紐でぶら下げてて、棒を持って、いつも同じような時間に、ガラガラ音立ててやってくるんだ」

「目的もなく?」

「そう、それで、子供達の間では、勉強をしすぎるとああなってしまうということになってました」


『居眠り婆さん』

「居眠り婆さんはね、小さなおせんべいを入れた袋を持ってて、電車に乗るんだけど、『切符は?』というと、おせんべい出しちゃうんです。でもまあ、しょうがないかと電車に乗せてもらってた。それでね、防火用水のところで。いつも寝てた」

「切符が、せんべい!」


『雷おやじ』

「雷オヤジは、すぐ怒る。まあ僕たちが勝手に人の家に入っちゃってたんだから、今考えれば怒られて当たり前なんだけど。鉈を持って追いかけてきたりするんだ」


後編へ続く
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