SWITCH INTERVIEW ―― 垂見健吾「南方のタルケンさん」 〜後編〜  2page

写真・浅田政志


「バブルの頃、タルケンさん何歳くらいだったんですか?」

「30代ですね」

「バブル時代は、どうでした」

「泡が見えたね」

「見えた」

「なんだかさ、クルーズカメラマンにもなっちゃってさ」

「クルーズカメラマン?」

「お医者様の休日雑誌みたいなのがあって、デカい豪華客船に乗って、写真を撮るんだよ。だから、タキシードを作っちゃったりしてたもん」

「船上のパーティーとか?」

「そうそう、もう泡がはじけるよね」

「そんな泡時代は、どのくらい続いたんですか?」

「4年くらいかな? そうこうしているうちに、JALの機内誌の『スカイワード』とかやるようになったんだ。それで、あっちこっちまわるようになった。今思うと運が良かったね、日本中、世界中まわってたから。そのころ『スイッチ』がきっかけで池澤夏樹さんに会ったりもした」

「そのころは、もう沖縄に住んでたんですか?」

「事務所はあったんだよね。あとは車を、ビートルに機材を積んでた。で、そのころ、JTAの機内誌の『コーラルウェイ』をやりはじめて、今年で31年くらいかな。2カ月に1回の沖縄取材。いまは、もう全部の島に行ったな」

「30年以上ってすごいですね」

「そうなんだよね」

「南方写真師というのは、いつから名乗るようになったんですか?」

「椎名さんと会ってからだね。一緒に取材するようになって、『タルケンはなんで沖縄に行くの?』って椎名さんに訊かれて、『腰痛持ちだから、南がいいんだ』って言ったら、『そうか、じゃあ南方か、南方写真師だな』って言って、いろんなところで書いてくれたんだ。それで、南方写真師タルケンってなったの」

「それから、完全に沖縄に移住したんですね」

「そうだね」

「どうして沖縄だったのでしょう?」

「沖縄の人に惹かれたのもあるけど、たまたま『コーラルウェイ』の取材で、生活や風土を撮ってて、そこが好きになったのもあります」

「そして住んでしまった」

「そうだね。いつの間にか住んでたね。いままで、いろんなところをまわって、北海道もいいし、金沢もいいな、博多もいいなって思ってたんだけど、やっぱり沖縄に行っちゃったんだ。でもおれは別に、海が好きだからってわけでもなかったんだ。最初は泳げなかったんだもん。海を眺めながらビールを飲んでいるのはいいんだけど。でも、その風土を知れば知るほど、おもしろくなっていったんだ。あんまり、のめり込んでいく性質ではないんだけど、なにかを発見するのは面白かった」

「島は全部まわったんですよね」

「全部まわった。住民が百人以下の島も取材したな。12、3箇所、そういう島があった」

「いまはどうなんだろう?」

「もっと少なくなっちゃたんじゃないかな」

「タルケンさんは、すでに沖縄の人みたいですもんね」

「そうなんだ。沖縄の人に『宮城さんに似てるね』とか言われることもあるんだ。宮城さん、全然知らない人なんだけどね。でもさ、沖縄の人は、もっと毛が濃いんじゃないかな。家の中に蚊が入って血を吸うと、毛にからまって蚊が出られなくなるって。それに比べたら、おれなんて毛深い方だけど、薄いよ」

インタビューが終わると、タルケンさん、ひょうひょうと、青山の街に消えて行きました。

最初は、なんだか異質な感じでしたが、いつの間にか、ふと、その街に溶け込んでいるようでもありました。

タルケンさんは、山から海、地球のあらゆる場所に紛れ込んで、溶け込んでしまうことが、できるのかもしれません。

今日もきっとビーチサンダルで、どこかの街を歩いていることでしょう。

沖縄には、ぜひ遊びに行きたいと思いますので、そのときは、どうぞよろしくおねがいします。


垂見健吾 1948年長野県生まれ。那覇市在住。写真家・山田脩二氏に師事したのち、出版社写真部を経て、フリーランス写真師となる。JTA機内誌『Coralway』の写真を担当。池澤夏樹氏、椎名誠氏、吉本ばなな氏等の本の写真を担当。2006年CANONカレンダー写真展、2016年『琉球人の肖像』出版記念写真展など開催。得意技はカラオケ及びクルマの運転

戌井昭人 1971年東京生まれ 作家、パフォーマンス集団「鉄割アルバトロスケット」の旗揚げに参加、脚本を担当。『鮒のためいき』で小説家デビュー、2013年『すっぽん心中』で第40回川端康成文学賞、16年『のろい男 俳優・亀岡拓次』で第38回野間文芸新人賞を受賞。最新刊は『ゼンマイ』


▶︎WEB CONTENTS




戻る

ページトップへ