立ち読み

古川日出男『小説のデーモンたち』

「前書き」ふうに初めに語っておくと、この本は、このような本になるはずはなかった。もちろん所期の目的は達成されてはいる。僕がやりたかったのは創作論だしそれも小説の創作論だ。この本は、ちゃんと小説の創作論にはなっていると思う。特に第三部(「3 デーモンスレイヤー」)はそうだ。けれども、どうして第三部に至らなければ “ちゃんと” と言える創作論になっていないのか?
 理由は簡単で、僕がこの原稿を、二〇一一年の一月から書き出したためだった。
 この『小説のデーモンたち』は、雑誌「SWITCH」に連載した。しかも二年半もの長きにわたって。その初回は、二〇一一年の「SWITCH」三月号(二月二十日発売)に掲載された。その直後に、世界は揺れた。世界とは “日本” のことだし “東日本”のことだし、やがて “被災地” と命名される土地のことだ。でも、結局、世界は全部揺れたのだと思う――僕にとって。
 連載の三回めが東日本大震災の発災からわずか十一日後の文章となった。ここから『小説のデーモンたち』は、一人の作家の自滅と再生の物語となってしまう。そう、物語だ。驚いてしまうことに。
 自滅、と、いま書いた。そこが僕という作家の奇妙な(むしろ奇矯な)点だ。悲劇の原因は僕の外側に、すなわち世界そのものの側にあったのに、そこから僕は内側に向かって崩壊をはじめた。これは全く否定できない。僕は、この創作論『小説のデーモンたち』を月々書きつづけることで、ある一人の “作家” を観察するはめになった。その “作家” とは僕である。
 結果として、この本は「二〇一一年一月から二〇一三年七月を生きた、ある一人の “作家” のクロニクル」に結実した。そして、この “作家” の相貌はどうにも悲劇的である。しかし、最後には復活する。もしかしたら呆れんばかりに感動的に。なにしろこれは物語なのだから。
 この本とこの本の著者に、墓碑銘を授けるならばこうだ。
 それでも死者には死者の創作論がある。
 墓石にそんなふうに刻まれていたら、ぴたりと嵌まるのではないかと感じた。
 繰り返しになるけれども、この『小説のデーモンたち』には実践的な創作論もそれなりに大量に孕まれている。ただ、この本を読むことで、中途半端な小説家志望者は「小説家になるのは、やめようかな……」と逡巡するのではないか。でもね、それでも小説家になってしまったり。もうなってしまっているような人たちが、小説家なんだよ、と僕は言いたい。そして、だったらこの本を読んでみて、とも勧めたい。
 さて、それではクロニクルを繙きだしてゆきましょう。

続きは本書にてお楽しみください。

〈プロフィール〉
古川日出男
1966年福島県生まれ。98年に『13』で小説家デビュー。2006年『LOVE』で三島由紀夫賞受賞。多作家としても知られ、これまでに発表した小説作品の総原稿枚数は1万3500枚を超えるという。原稿用紙2000枚におよぶメガノベル『聖家族』他、代表作は『ベルカ、吠えないのか?』『馬たちよ、それでも光は無垢で』『ドッグマザー』『南無ロックンロール二十一部経』など。




Posted on 2013/12/02

立ち読み

ジーナ・ローランズ 「女優」という運命を生きて

ジーナ・ローランズは女優として、カサヴェテスに常に発見と刺激を与え続けたかけがえのない創作の源であり、映画作品に絶対的な存在だった。ジーナ自身、カサヴェテスとの出会いは「運命」だと言う。人生すべてを映画に捧げた二人の日々は、カサヴェテスの急逝によって終止符が打たれてしまう。その喪失の大きさははかり知れないものがある。 そして今、ジーナ・ローランズは一人、映画という道を歩み続けている。「女優」という「運命」を。
text by Matsuda Hiroko/photographs by Murakoshi Gen

▼カサヴェテスが暮らした家へ

 初めてジーナ・ローランズに会ったのは、一九八九年の夏。カサヴェテスが亡くなって、わずか半年後のことだった。
 まだ深い悲しみの中にいる彼女は、感情を押し殺しているかのような凜とした美しさが際立って、その姿はどこかカサヴェテス作品に登場する女性たちと重なっていった。
 思えばカサヴェテスがジーナを通して描いた女性たちは、みな孤独に打ちのめされ人生に行き詰まっている。それでも彼女たちは他人を責めたり、くよくよ嘆いたりはしない。直面する現実に抗うかのようにもがき、時には精神のバランスを崩すこともあるが、それでも彼女たちは野獣のように頭をもたげて立ち上がり、「希望」へと手を差し伸ばす。その姿に観る者は自分たちを重ね共感し、励まされる。清麗で美しいと感じる。
 カサヴェテス作品は、映画でしかできないことに満ちている。同時に、映画の世界にとどまることなく現実を写す鏡として私たちを後押ししている。  二十五年前、『スイッチ』のカサヴェテス特集号の編集後記にこう書いた。
「不思議なことに何も知らないでいた時よりも、わからないことが増えた。それは悪いことではないと思う。カサヴェテスについて語っていくのはこれからなのだから」
 その想いは四半世紀経って、カサヴェテスを知らない若い世代が増え、映画制作を取り巻く状況が厳しさを増す今、むしろ深まっている。もう一度ジーナの声を聞きたい。彼女が再婚したという知らせにはいささか驚いたが、いまもカサヴェテスと暮らしたあの家に住んでいる。
 午後三時。
 ハリウッド北西部、高台にあるカサヴェテス邸へと車でゆっくり上っていくと、見覚えのある入り口のスロープが見えてきた。白い外壁は最近塗り直されたばかりなのか番地の数字が目に鮮やかだ。映画『ラヴ・ストリームス』でサラが何度も出入りするロータリーも、秋晴れの光の中にある建物もあの頃とすこしも変わっていない。ところどころ改修された跡に、この家をいとおしむジーナの意思が伺えるようだ。
 玄関を入ると、右側がリビング。リビングに繋がる廊下には写真が所狭しと飾られている。息子ニック、娘ゾエとザン。ジーナの最近のスチール。いまのパートナーとの2ショットや彼の家族との写真、カサヴェテスの肖像写真が混在し、かけがえのない時間を物語っている。
不思議と安堵と切なさと懐かしさが交錯する。そのとき、聞き覚えのある声がしてみやった。
 鮮やかな赤いジャケット。一九三〇年生まれ八十三歳の彼女がいた。足下を確かめるようにゆっくり歩く姿に、さすがに年齢を感じさせるものの、華やいだ笑顔は、まさしくジーナ・ローランズだった。

続きは本書にてお楽しみください。


Posted on 2013/12/20

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